夢のまた夢

 夢を、見た。
 この手で殺した人間が出てくる夢だった。
 だからといって、呪うとか祟るとかそういうオカルトな夢ではなく、真っ暗な闇の中、二人だけで話をする夢だったのだが。
 朝からその夢がずっと引っ掛かっていた。
「あーぐちゃーんっ!!」
「!?」
 突然背後から声をかけられ、思索の糸はぶつりと音を立てて切れる。
 背中に何かがぶつかるような軽い衝撃とともに、ルヴェイルの腰元に小さな手が回された。
「アグちゃんアグちゃん! おっはよー!!」
 肩越しに見下ろすと、後ろから突如突進して抱きついてきた者の正体は、同じゴッドイーターの、カイ少年であった。
「あんねーあんねー! 今日ねー俺ねー……あぃ? アグちゃん美白した?」
 カイはいつもの怒濤の勢いで何かをしゃべり出そうとしていたが、抱きついた相手の顔を見上げると、大きな瞳をさらに見開いて小首をかしげた。
「……カイ。俺はアグニじゃない」
「い、いちもく、りょうぜんです」
 なら何故「アグちゃん」と呼んだのか。
 突っ込みきれずに黙り込むと、カイは抱きついたままの体勢でしばらくじっとしていたが、やがて自分の腕と、ルヴェイルの顔を交互に見比べてから、
「さては、また人違いだな?」
 おそるおそる、聞いてきた。
「そのようだな……」
「……ごめんなさい。ルヴェイルさん」
 カイは素直に自分の間違いを認め、ルヴェイルから離れて頭を下げた。
「……いや。慣れたからいい……」
 ルヴェイルは溜息混じりにそう呟いたが、その口元は少し笑っていた。
 カイは、困ったような表情で周囲を見渡しながら、唇を尖らせた。
「……アグちゃんどこいったんだろうー……。さっきは見つけたと思ったらカゲちゃんだったし……。色黒だから絶対合ってると思ったんだけどなー」
「……肌と、服を、両方見てみたらどうだ?」
「そんな難しいこと言われても……」
 そんなに難しいだろうか。まあ難しいか否かは人によってさまざまである。勝手に自分の物差しを押しつけるのは良くない。ルヴェイルは反省した。
「そうか……。すまない」
「ううん!」
「ところで、……カゲロウ君と会ったのはどこで?」
「えっと、出撃ゲート出てすぐの、車とかいっぱい駐めてある所ッス! 白いヒコーキの所で、なんかやってた! 手ーが真っ黒だったから、むやみに抱きつかないほうがいいよ!」
「ああ。忠告ありがとう……。手が真っ黒って……カゲロウ君が?」
 手が真っ黒ということは、整備中なのだろうか。神機をはじめ、整備は専門的な知識を要するので、整備班の仕事である。れっきとした神機使いのカゲロウが、そんなことまでしているのはおかしい。
 ルヴェイルが聞き返すと、カイは途端に難しそうな表情になってしまった。
「……えっと……アグちゃんじゃない……人が……?」
 自信なさげに、聞き返してくる。
「い、いやいや……そこは自信を持ってくれ」
「お、おれ、アグちゃん探さなきゃ!」
「おい……」
 カイはあわててきびすを返し、区間移動用エレベーターの方へ走っていってしまった。本当に騒がしい少年だ。
「……本人に聞けばわかるか」
 そもそも、これから話をしに行こうと思っていたのだから、人づてに聞くより素直に訪ねた方がいいのだろう。
 無意識のうちに、カゲロウに会いに行くのを躊躇していたようだ。
 途中で足を止める口実が後ろから抱きついてきたのに、心の隅でほっとしていたのかもしれない。
「はぁ……」
 これを話したからといって、何になるのだろう。
 笑われるだろうか。怒られるだろうか。
 だけど、彼に言わないと、他のものに手がつかないのだ。

       *

 カゲロウは、本当にヘリコプターを整備していた。
 正確には、整備ではなくパーツの取り付け作業なのだが、こういったことに精通しているわけではないルヴェイルの目には、そのように映った。
「あ、あれ……? ルヴェイル。……ど、ど、どうしたの? ……今日は……、や、休みじゃ……?」
 紺色のツナギ姿のカゲロウは、こちらの姿を見つけるとすぐに脚立から飛び降りて、首にかけた真っ黒なタオルで手を拭きながら、ルヴェイルの元へ歩み寄ってきた。
 隣に立つと、相変わらず、長身のルヴェイルでさえ見上げるほどの大男だ。東洋人でここまで背の高い人間は見たことがない。
 加えて、分厚い胸板、太い腕、褐色の肌。黒髪の巻き毛を目元を覆うほど伸ばしているため、表情が読めなくて、お子様に大変ウケの悪そうな容姿をしている。
「悪い。作業中に……」
「い、い、いや、いいよ。少し……休憩しようと、お、思ってた所……なんだ」
「一人でやっていたのか?」
「こ、これは、試作機だから……。実際出動するモノのほうが、重要だろ? そっちは、ちゃんと整備班がやる……ってこと」
「……こき使われてるな。ちゃんと言ったほうがいい」
「な、……何かしてたほう……が、気が、紛れるから……ね」
 そう言ってすぐに、カゲロウははっとした顔をした。
「ご、ご、ごめん——」
「いいや。そのことなんだが——ここじゃちょっと……。移動しよう」

       *

 レヴィル・ダークネスという男は、最後まで本当によく分からない男だった。
 彼がルヴェイルのクローンだということが判明した後も、すぐに納得できたかというと、首を横に振らざるをえない。たしかに、髪の色や目の色こそ違うものの、双子でもここまで似ていないと思うほど顔がそっくりで、声も同じ、背格好も全く変わらなかった。
 だが、彼の言動はルヴェイルとは似てもにつかないものだった。正反対と言ってもいい。横暴で身勝手で、いつも自信満々に笑っている。そんな彼にいつも、カゲロウが振り回されているのを見かけていた。
 ルヴェイルから見れば、カゲロウとレヴィルは不思議な関係だったのだが、それでもカゲロウは、たまにレヴィルを見かけると嬉しそうに笑って、当然のことのように隣に並んで歩いていたのだ。
 その二人の関係を、ルヴェイルはこの手で壊してしまったことになる。
 もちろん、自分から望んで手にかけたわけではない。
 あのときはああするしかなかったのだが——そんな言い訳が成り立つのなら、この世に争いは一つもなくなるはずである。アラガミという共通の敵がいながら、人間同士は未だに騙し合い、殺し合っている。

       *

「夢?」
「い、いやっ……! 違う! やっぱりいい! おかしいな、こんなのは……」
 ルヴェイルはソファから立ち上がり、空になったコーヒーカップを持って流し台に向かった。ここはカゲロウの部屋だが、神機使いに宛がわれている部屋はどれも間取りが同じだ。勝手知ったる同僚の部屋、である。
「……そんなに、おかしい……事かな?」
 カゲロウは、わざわざ立ち上がって、ルヴェイルの元まで近づいてきた。もう作業を続行する気はないようで、部屋に帰るなり着替えていたため、見慣れた略式制服姿である。
 ルヴェイルは少し戸惑いながら、カゲロウの顔を見上げた。
 彼の気遣いは本当に嬉しかった。自分は、慕っていた仲間を殺した張本人だというのに、——少しの間ショックを受けていたとはいえ、カゲロウの態度は変わることはなかった。
 いや、少々変化してはいる。ただし、良い方向に、である。
 ルヴェイルのことを気遣ってか、前よりも態度が柔らかくなっている気さえするのだ。
 ——これは、どういう事なのだろう。彼は自分を責めたりしないのだろうか。そんな甘えは許されるのだろうか。
「夢にあいつが出て来たと言っても、思い出すような……、感じじゃなくて。本当に、現実の延長線上みたいな感じだったんだ。あの、廃寺での事も話したし——、今までのことも。それから、右目のことも」
 ルヴェイルは、眼帯越しに、右のまぶたに指を添えた。
「あいつは俺に——自分を殺した男に、苦しみから解放してくれたと、——救われたと、言ったんだ……」
 自分の口から出る言葉が、鋭利な刃物のようだった。切っ先が胸を貫いて、耐えられないほどの痛みが体を貫く。だけどその刃は鋭く、美しく、甘美な響きに満ちていて、口にするのを止められない。
「ルヴェイル。座ろう」
「……ありがとう」
 カゲロウに支えられるようにして、ソファに導かれ、座る。
 腰掛けて初めて、体が鉛のように重たいことに気がついた。足が負担から解放されて、歓喜の声を上げている。
 そんなルヴェイルの様子を見守りながら、カゲロウはまだ中身の残っているカップを両手で包み込むように持ち上げ、一気に飲み干した。
「俺は……き、極東で傭兵をやって……きたから。……仲間が、め、目の前で、いっぱい死んだ……」
 小さな音を立てて、カップを置いた。
 元傭兵という肩書きは、ルヴェイルも同じ身の上である。だが、旧イングランド地域にいたルヴェイルとカゲロウとでは、状況が違っていただろうことは、想像に難くない。極東は世界一アラガミの多い地域である。
「だ、だ、だから……死んだ奴らと、夢で会えることも、し、知っているよ。今でも、よく、……彼らと、ミッションに行っている夢を見たり、……する、んだ」
 ルヴェイルは、うつむいていた顔を上げて、カゲロウの顔を見た。
「ただ、……死んだその次の日に、すぐ、夢に見ることは、な、なかった、かな」
 いつも寡黙な彼は、言葉を探すように一旦、口をつぐんだ。しばらく考えていたが、やがてぽつりぽつりと、語り始める。
「死んで、まず、お、お、俺が泣くだろう? ……身内の人に報告して、み、身内の人が泣くだろ。そ、そ、その後、仕事して、帰ってきて、ボーッとしてると、よ、夜になっちゃって、……とりあえず、寝て……。つ、つ、次の日も仕事で、次の、次の、日も仕事……で、……ええっと……い、一年か二年経って、あ、ある日突然、夢に出てくる……ん、だよ」
 ルヴェイルは、カゲロウの視線の先を追ってみたが、そこには壁しかなかった。自分にとっては、死んだ仲間の夢なんて悪夢でしかなかったというのに、なんて穏やかな顔をするのだろう。
「そ、そして、夢から覚めて、……朝、ベッドの中で……、ああ、あいつ死んじゃったんだな……って……お、……思うんだ……」
「……!」
 心の底を、すくい上げられたようだった。
 そういう事なのだろうか。
 自分がそんな風に思っていいのだろうか。
「……俺は、ま、まだ……夢にレヴィが出て来たことは……ないけど……」
 それまでずっと暖かかった彼の声が、言葉の最後に少し掠れた。そして、唾液を嚥下する音。彼はそのまま振り返り、長い前髪越しにルヴェイルの目を見つめた。
「で、で、でも……良かったね。……きっと、また、会えるよ……」
 カゲロウは、そう言って、ルヴェイルの肩に手を伸ばした。
 暖かい掌の感触が触れて、凍り付いていた心が、優しく溶け出す。
 あ、やばい。
「……っ……」
 口元を押さえると、頬を伝う涙が指先に触れた。
 泣いているのだ、と自覚した途端、目頭に涙があふれてきて、みるみるうちに、止まらなってしまった。
「……ルヴェイル」
 困ったようなカゲロウの声が、頭上から降ってくる。
 いい歳して、夢くらいで何を盛り上がっているのか。心の中でどこか冷静な自分が茶々を入れているが、決壊した感情の奔流は圧倒的だ。
「……す、すまない……も、……もう、帰る……ッ」
 顔をそらしたまま、あわてて立ち上がったその手を、カゲロウが掴んで引き留める。
「離し……」
 自分の二、三倍はあろうかと思える太い腕は、どんなに振り解こうとしてもびくともしなかった。圧倒的な腕力の差に、あっさりと引き寄せられ、大きな胸の中に抱き留められる。
「……い、い、いつも……かっこいいルヴェイルさんが、そ、そんな顔して出て行ったら、……み、みんな、びっくりしちゃう、よ」
「……っ……だ、駄目……!!」
 よしよし、と言いながら頭を撫でてくる広い掌の感触。それが、なぜか涙腺に直結しているらしく、嗚咽で喉が詰まり、やめてくれとも言えなくなってしまった。
「……ふっ……う、……うう……っ!」
 ルヴェイルはカゲロウの背中に腕を伸ばし、胸に額を押しつけ、声を上げて泣いた。
 そこは、まるで、昨日見た夢の中のように、暗く、暖かく——。
 心にあいた風穴を埋める何かが、確かにあった。